#28. 🇩🇪トルコ市場&ベルリンの壁
ベルリンでは“DB Navigator”というアプリから電車のチケットを買うことが出来るので非常に便利だ。
今日は丸一日街を散策する為、一日券7€をアプリで購入した。
駅には改札がない。
しかし、稀に車内で切符の抜き打ちチェックがあるようで、切符を買っていなければ60€の罰金があるらしい。
向かったのは中心地から少し離れた「U-Bhf Schönleinstraße」という駅だ。
火曜日と木曜日にはここで「Neuköllner Stoff」というトルコ市場が開かれている。
駅を降りると、さっそく織物屋や中東風の店が並んでいるのが見えた。
ここが市場の入口だ。
市場では織物、野菜、果物などが売られている。
売っているのは中東系の顔立ちの人もいれば、白人系の人もいるようだ。
酢漬けしたニシンや玉ねぎなどを挟んだサンドイッチ“フィッシュブレッチェン”が2.5€で売られていたので、一つ買うことにした。
ニシンに生臭さはまったく無く、タマネギが甘くて美味しい。
サンドイッチを食べながら市場を進む。
道具屋から肉屋まで様々な店がある。
食べ歩きができて見応えのある楽しい市場だ。
市内に戻り、ウォールアートの多いベルリンの街を歩いた。
「Markthalle Neun」という市場にやってきた。
この市場は昔の姿を上手に残していると言われている。
ここは11時開店なのでまだ客はあまりおらず、従業員達が準備を進めているようだった。
街の路上にある自動車は日本で言う“高級車”ばかりだ。
フォルクスワーゲンの後ろにはまたフォルクスワーゲンが停まっている。
橋を渡っていると、メルセデスベンツの本社らしき建物が見えた。
ビルの上部ではベンツのロゴがクルクルと回っている。
ベルリンを東西に分けていた「ベルリンの壁」に到着した。
壁には絵が描かれており「イーストサイドギャラリー」と呼ばれている。
独裁国であったドイツの国旗と、迫害されていたユダヤ人国家であるイスラエルの国旗を重ねたこの絵がギャラリーの始まりだ。
イーストサイドギャラリーは1.3kmあり、残存するベルリンの壁では最長らしい。
これは「独裁者のキス」と呼ばれる有名な作品だ。
2人は旧東ドイツの書記長と旧ソ連の書記長らしく、当時の両政府の密接具合を皮肉るものだ。
壁の裏側には、数メートル先にまた壁がある。
当時、東西ベルリンは一枚の壁で隔てられていたのではなく、その間には何重ものバリケードがあったのだ。
日本のペイントアートもある。
小腹を満たす為にホットドッグ1.7€を買い、「アレキサンダー広場」へとやって来た。
9月下旬ということもあり、広場はオクトーバーフェストの真っ最中だ。
皆ジョッキ満タンの大きなビールを飲んでいる。
美味しそうなソーセージをビールで流し込む様子を見ていると、またお腹が空いてきた。
「Mustafa's Gemüse Kebap」というドネルケバブ専門店にやって来た。
店は移動式の車のようなもので、長い列が出来ている。
1時間程並んでようやくチキン入りのドネルケバブ3.9€を購入できた。
ボリュームたっぷりのケバブは最高に美味い。
ドネルケバブは実はドイツ発祥らしい。
パンの美味い国にやってきたトルコ人がケバブを改良したと言われている。
さらに、ケバブ屋の横にはカリーブルストの名店「CURRY 36」がある。
満腹だったがせっかくなのでカリーブルスト2.7€も買うことにした。
味は美味いが自分でも作れそうだ。
食事を終え電車に乗った。
一日券はとても便利である。
経済大国であるドイツの首都ベルリンの街並みは都会さが溢れている。
ホロコーストの歴史に負い目を感じてか、ドイツは隣国に比べて難民の受け入れに寛容で移民や難民は多くいるようだ。
「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」と呼ばれるモニュメントに到着した。
記念碑のすぐ近くにあるのは「総統地下壕」。
現在はただのガレージだが、ここは戦後にヒトラーが隠れていた地下壕があった場所である。
戦争の責任を帳消しにするもくろみがあったのか、遺族に苦しい記憶を思い出させないためか、この地下壕は壊されたのである。
ここはヒトラーが自殺した場所でもある。
ガレージの横には歴史の説明が書いていた。
また少し歩くと「ブランデンブルグ門」が出てきたが、工事中なので非常に残念だ。
門の上にある勝利の女神は1813年のナポレオンに対する勝利を象徴しており、鷲と鉄十字を持っている。
ドイツの栄光時代の象徴なのだ。
ブランデンブルク門の隣には「国会議事堂」があり、ドイツ国旗が風になびいている。
ブランデンブルク門の裏側は警察に封鎖されていた。
どうやらトルコの大統領が訪問中で警備を強化しているようだ。
ドイツとトルコの関係は緊張状態にあるらしい。
ブランデンブルク門の裏側にある川沿いをずっと歩くと「ベルリン中央駅」に到着した。
ホステルへ帰る途中のスーパーマーケットで日本のインスタントラーメンを見つけた。
出前一丁、さらに日清焼きそばまでもが遠く離れたドイツの店頭に並ぶ時代になったのだ。