ブルノ

9/23 12:00

 

最近、外出するのが昼になってきた。

せっかく日本から遠く離れたところに来たのにもったいない。

これからはもう少し早く出ることを心がけよう。

 

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本日は小雨が降っている。

ヨーロッパに来て初めての雨だ。

日曜日であるせいか、街は人が少なくとても静かだ。

昨日と比べると寒く、気温はおそらく15度前後だ。

クラクフでは20度を超えていたため、一気に温度が下がったのが驚きだ。


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適当に歩いていると、たまたま「旧市庁舎」にたどり着いた。

モニュメントの内の一つが傾いているのは、工事作業員の鬱憤晴らしとも、デザイナーの単なる遊び心とも言われている。


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旧市庁舎の中には、ドラゴンと言われている模型があるがどう見てもワニだった。


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旧市庁舎をくぐり抜けて、歩くとキャベツ市場と呼ばれる「緑の広場」がある。

しかし、特に露店があるわけでもなく、人が大勢おるわけでもない。


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中心に巨大なモニュメントがあって、端にはキリスト教に関連するモニュメントがあった。


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また少し歩くと、「聖ペテロ聖パウロ大聖堂」が出てくる。


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この聖堂はブルノのトレードマークでかなり大きい。


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聖堂からはブルノの街が見渡せる。


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中に入ると、ちょうどミサが終わったようで団体が一気に出てきた。

外側から見る様子とは違って、内観は割と新しい様式だった。

 


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外観は現地市民によって当時の姿をしっかりと保持されている。


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聖堂から街の方へ下って行き、城の横にあるレストランに入った。

店内は人が自分しかいなく、店員は暇そうにしていた。

生ビールと、「vepro knedlo zelo」つまりローストポークを注文する。

店員が「これでいいよね!?」という感じに、語尾に「ya!?」と言ってくるのが面白かった。

 

結局ここでビールを2杯飲んでしまい、長居してしまった。

お会計は8.5€と少々贅沢なランチだ。


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食事を終えて、すぐ隣の「シュピルベルク城」へと向かった。

13世紀初頭にこの城の建設が始まり、皇室の城として使用された後、14世紀中頃には監獄所へと変化したらしい。


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城内に入ったが、観光客はほとんどいなかった。

中の展示品などは見ずに、街へと降りることにした。


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自動車もあまり通っていず、人に捨てられた街のような雰囲気だ。


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中心地である自由広場の方へ行くと、徐々に人が増えてきた。


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広場では今日も露店が並んでいて、ソーセージと赤ワインを4€で購入した。

ワイン屋では色々と試飲させてくれる。

ワイン売りの女性が、「日本は教育システムがとても良いよね!」と言った。

確かに、日本の中でも、東京は世界で最も平等な教育が与えられている都市だ。

しかし、海外に比べて、教育の“質”は自慢出来るものかは怪しい。

 

帰り際にまた話しかけると、「この市場は22時までやってるよ。明日もやってるからまた来てね。」と言ってくれた。

 

それから、ホステルへ帰って少し休むことにした。

 

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20:00

 

すっかり暗くなった。

レストランに行くよりは、よりローカルな広場の露店でご飯を済まそう。


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広場では、テントの下で演奏されていてアイルランド民謡のような軽快な音楽が鳴っていた。

ワインやビールを片手に歌い踊る人がいたり、長々と話し続けている人がいたり、ただ演奏者を見ているだけの人もいた。


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露店で少し豪華な夕食をこしらえてきた。


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これは「ザワークラウト」と呼ばれる酸っぱいキャベツの漬物に、小麦粉を丸めたモチモチの団子、さらにベーコンを混ぜた料理だ。

とても酸っぱかった。


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そして、肉厚なソーセージを丸々一本。

スライスされたパンが必ず付いてくる。

2種類のマスタードがあり、一つは普通の黄色いマスタードで、もう一つはワサビのような香りがする白いマスタードだ。

 

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これは「フェーダーヴァイサー」と呼ばれる、ワインになる前の葡萄酒だ。

これは甘くて美味しかった。

ワイン屋には昼に話した女性がまだいて「君、ソーセージ好きなんだね。日本にはないの?」と笑って話しかけてくれた。

 

音楽を聞いて笑う人々を見ながら、ブルノ最後の夜を楽しんだ。


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ブルノの街は夜でも明るい。

少し街をぶらりと歩いて、ホステルへと戻った。

 

本日の出費は、

ホステル宿泊費15.3€、食費19.4€、プラハ行きのバス代5.1€で

合計39.8€

 

 

 

移動日(クラクフ→ブルノ)

9/22 午前10:30

 

チェックアウトをして急いでバス停留所があるクラクフ中央駅へと向かった。

 

バスは11:15発だ。

駅にはショッピングモールが隣接していて、バスの時間までに簡単に食事を済ませることにした。

 

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バーガーキングに入って、ポーランド通貨の消費を試みる。

しかし、中途半端に5€ほど余ってしまった。

 

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16:45

 

無事ブルノに到着した。


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街は小さな路面電車が走っている。


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ホステルへ歩いて行くが、道には誰もいない。

今日は土曜日だからだろうか。

バスを降りて10分ほどでホステルに到着し、チェックインを済ませて街へ出た。


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中心地へ向かうと徐々に人は増えてきた。

ハンガリーの通貨フォリントがかなり余っていたので、チェコの通貨コルナに両替した。

 

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さっそく変えたばかりのコルナを手にして、チェコのスイーツ「トルデニック」2.5€を購入した。

筒状の焼いたパンはザクザクしていて、周りに大量の砂糖をまぶしてある。

とても甘く、これだけで1000キロカロリーは余裕であるような気がする。

 


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ブルノは小さい。

中心地である「自由広場」にはホステルから歩いて3分で着いた。

 

夕食を食べようと、事前に調べていた「Lokál U Caipla」というレストランへ向かった。


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店内はガッチリとした雰囲気ではなく、ラフな大衆食堂といった雰囲気だった。

しかし、店員のサービスはしっかりしている。


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おススメを聞くと、なにやら肉料理を教えてくれた。

「Svíčková(スヴィチュコヴァー)」と呼ばれるチェコ料理らしい。

サイドディッシュにパンを付けたらどう?とアドバイスしてくれたのでそれを頼んだ。


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チェコに来たからには、「ピルスナーウルケル」つまりビールを飲まないとなと思い、0.5Lの生を注文した。


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続いて出てきたのは、ソースたっぷりの肉料理に蒸しパンが添えられもの。

一緒に出てきたのは、デザートかと思ったらどうやらクリームソースのようだ。


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まず肉を切ってみると、どうやら牛タンのようだ。

ソースはIKEAのミートボールとまったく同じ味のソース。

それに甘いベリーが入った生クリームを付けて食べる。

蒸しパンは味がついていなく、ソースをつけたり、生クリームをつけて食べた。


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コースターには可愛らしい絵があって、チェコ語で何か書かれていた。

左上の絵は、「人に飲ませるな」の絵だなと思って、翻訳アプリで確認すると“ビールのサポートを促進する”という風に出てきた。

ベロベロになった人に向かって、もっと飲めという絵ではないかと思うと恐ろしくなった。

お会計は9.3€だ。

 


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食事を終えて広場へ行くと、地元の人が露店を楽しんでいた。


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アクセサリーなどが売っていて、観光客向けというよりは地元民向けだ。


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ヨーロッパでは、このようにワインの露店が沢山あって、みんなワイングラス片手に話をしているのをよく見かける。

まずは席に座りたいという日本とは間違いなく違う文化だ。

仕事帰りなどにサクッと行けて、数€の出費で済むから良いと思った。


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先ほど食べたパンの店もあった。


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露店をぶらっと一周してホステルへと帰った。

ブルノは小さい町なので、今日色々見てしまうと明日見るものがなくなってしまう。

 

本日の出費は、

ホステル宿泊費15.3€、食費16.8€で

合計32.1€

 

クラクフ3

9/21 午前11:30

 

本日は、「アウシュビッツ強制収容所」に行く予定だ。

ここは高校の世界史の授業で知ってから、一生に一度は行きたいとずっと思っていた。

ついに夢が叶ったと思うととてもわくわくする。

 

アウシュビッツは繁忙期には、10〜16時の時間帯はツアーのみ入場可能となる。

朝7:30から開いているが、2時間半で全て見れる自信がないのと、7:30までに現地に自力で到着出来るかが不安だった。

その為、英語のツアー40€を前日に急いで予約した。

 

ちなみに、日本語のツアーは1人で参加すると200€近くする。

 

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さっそくツアーの待ち合わせ場所に向かった。

12:35に指定されたホテルの前に集合だ。


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赤色のキオスクがあった。

キオスクは日本のものだと思っていたが、ヨーロッパにもあるみたいだ。


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旧市街を通り抜けていく。


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昨日は閉まっていた木の小屋がある広場は、人だかりで賑わっていた。

この時間は開いているらしく、ソーセージ屋、デザート屋、花屋、お土産屋などが揃っていた。


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ツアーは7時間あって軽食などは出ない為、昨日食べた、穴があいたパンを3つ買っておいた。

塩、ゴマ、チーズ味だ。

朝食がわりに塩味のパンを食べながら歩いた。

 

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今回参加するツアーはガイド付きで、Full-Day(1日)なのに12:35からスタートだ。


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イギリスのウェールズ出身の若い男性と、カリフォルニア出身のおじいさんと3人で会話していると、集合場所に迎えのワゴン車とバスが来た。

 

そして、進行役らしき役割のアニタという若い女性が予約確認をした後、ワゴン車とバスに適当に振り分けられた。


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予約確認が出来るとツアーのステッカーが配られた。

車内のシートは狭く窮屈だ。

チーズ味のパンを半分ほどちぎって食べていると、アウシュビッツに関するビデオが車内で上映された。

1時間15分ほどして、収容所がある街「オシフィエンチム」に到着した。

 

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アウシュビッツのツアーで行くのは大体、このオシフィエンチムにある「アウシュビッツ1」と、3km程離れたところにある「アウシュビッツ2」と呼ばれるアウシュビッツ・ビルケナウだ。

 

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バスを降りると目の前にレンガ造りの建物がある。

この中はトイレや売店があって、敷地に入る前に10分間の休憩が設けられた。

 

建物の中には書店もあって、各国の言語で書かれたアウシュビッツの案内書などが売ってあった。


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入口では厳しい身体検査があって、空港と同じ要領でチェックされる。

入口を入ると、有刺鉄線が何重にもはられたエリアが見えてきて明らかに異様だ。


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この中が被収容者達が収容されていた場所だ。

ツアーガイドは、30歳くらいの金髪の女性だ。

アウシュビッツは公認のツアーガイドしか添乗することを許されない。


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有刺鉄線の先には、ついに地獄への入口があった。


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“ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)”

何万人もの犠牲者がこの門をくぐっていった。

 

収容所はほとんど被収容者によって造られたものが多いらしく、「ARBEIT」の“B”が逆さまにつけられているのは、被収容者のわずかな抵抗ではないかという説がある。


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有刺鉄線の中はこのようになっている。

当時は脱走を防ぐために有刺鉄線に電流が流れていた。


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さっそくツアーガイドについて行き、中に入った。

1940年から1945年まで使用されていたこのアウシュビッツ1は約16,000人が収容されていて、そのほとんどが殺されたらしい。

だが、ガイド曰く、ここで登録される前に殺される人も沢山いた為、実際に何人がここに来たかは正確には言えないらしい。

16,000人は最低数ということのようだ。


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入ってすぐには、音楽隊が演奏していた小屋がある。

このオーケストラは、被収容者の数を数えたりするのに役立ったとのことらしい。


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敷地内はレンガ造りの建物が並んでいる。

約70年前にここで大殺戮があったなんて今では想像も出来ない。


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建物にはそれぞれ番号がふってある。


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4番の「殲滅」というテーマの建物へ入っていった。


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まず、ここに収容された人たちがどこから来ているのかを記した地図が出てきた。

遠いところでは、ノルウェーギリシャからもここにやって来ていた。


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アウシュビッツナチスドイツ最大の強制収容所であり、死の収容所であった。1940年から1945年の間に、ナチスは少なくとも130万人の人々をアウシュビッツへと送った。

その内、110万人はユダヤ人、14-15万人はポーランド人、2万3000人はジプシー、1万5000人はソビエト連邦の戦犯者、2万5000人は他の民族の囚人だった。

110万の人々がアウシュビッツで亡くなった。およそ90%の被害者はユダヤ人であった。SS(ナチス)はその人々の多くをガス室で殺害した。”


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アウシュビッツに送られたユダヤ人の推定人数は、

43万人/ハンガリー

30万人/ポーランド

6万9000人/フランス

6万人/オランダ

5万5000人/ギリシャ

4万6000人/チェコ

2万7000人/スロバキア

2万5000人/ベルギー

2万3000人/オーストリアとドイツ

1万人/ユーゴスラビア

7500人/イタリア

690人/ノルウェー

加えて、およそ3万4000人のユダヤ人が他の強制収容所から送られた。”

 


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これはアウシュビッツへ送られるトロッコ列車の模型だ。

人がぎゅうぎゅう詰めになって乗せられている。


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アウシュビッツ2の「ビルケナウ」に到着した人々の写真だ。

ここでまずSS(ナチスの親衛隊)によって、“選別”が行われる。


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ガイドが言うには、労働力があるとみなされた者は右へ、無いとみなされた者は左へ分けられる。

左に行く者はガス室へ誘導されてすぐに殺されたり、人体実験に使われたりする。

この写真では、先頭にいる杖を持った老人が左へ分けられている様子がわかる。

 

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これは実際に使用された大量の毒ガスの空き缶だ。

中にはツィクロンBという化学物質が入っていて、空気に触れると人体に有害な有毒性物質が出てくるらしい。


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ビルケナウにあるガス室の模型があった。

被収容者は地下のガス室へ入られた後、洗浄、殺菌を命じられ、老若男女関係なくその場で服を脱がされた。

部屋にはダミーのシャワーや、番号が書かれたハンガー掛けがあったらしい。

SSは被収容者にこの後に起こることを予測させなうよう、徹底していたとのことだ。

全員が部屋に入ると、SSの隊員がガスマスクをつけ、地下の天井にある穴からこの缶を投げ入れた。

ウィキペディアによると、「32分で一気に800名の命を奪う」最も効率的な方法だったとのことだ。


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被収容者の持ち物はSSによって略奪された。

これは大量のメガネと、身体障がい者の義足などである。

身体障がい者は、到着するや否や殺害される対象となったとのことだ。


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次に写真撮影禁止の部屋へと案内された。

ここには被収容者の2トンもの毛髪が展示されていた。

その横には、毛髪で編まれた編物があった。

ナチスドイツは被収容者の持ち物だけでなく、髪、骨、肌までも産業目的で利用した。


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さらに被収容者の持ち物が山のように展示されている。

スーツケースや靴、ヘアブラシや革靴用のワックスまで展示されていた。

その様子を見ると、被収容者達は本当にここに来た理由を知らなかったことがわかる。


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次に被収容者の生活を展示した建物に入った。

藁のみ敷かれた寝室は、アウシュビッツ設立当初に実際に使われていたらしい。


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トイレはプライベートなど全くないし、もちろん紙も無い。

水も流れていなかったらしく、非常に不衛生だったようだ。


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藁の部屋の反対側には、敷き布団がある部屋があった。

壁には当時の収容の様子を描いた絵があるが、見るに耐えない。


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その建物の通路には無数の写真が展示されていて、これはここで亡くなった人々らしい。

それぞれここへ送られた日付と、亡くなった日付が記されていた。

ガイドによると、被収容者はここへ来ると、髪を切られ、制服を着さされるらしい。

その制服は数週間、ひどい時では1ヶ月も変えることが出来ない。

また、冬場も同じ薄い服を着るため、人々は寒さに苦しんだと言う。


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建物の外に出て、ガイドの話を聞いた。

ツアーの参加者は全員ヘッドホンをして、ガイドの声を聞く。


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四方が壁に囲まれた庭のようなところにやってきた。


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ツアーの団体はガイドに連れられて皆中に入っていった。


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奥にはコンクリートで出来た「死の壁」がたっている。

被収容者はこの壁に並ばされて、SSの隊員に一気に銃殺されたらしい。

ガイドが言うには、「収容所に到着するや否や、囚人登録される前にここで殺された人も大勢いる為、正確な人数はわからないが、1日に280人もの人々がここで銃殺された。」

 

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この庭が四方塞がれているのは、他の被収容者からは見えなくする為である。

実際に、両サイドの建物の窓も木の板で塞がれている。

右側はSSの事務所で、左側の建物では人体実験が行われていたらしい。


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ツアーは淡々と進んでいく。

しかし、公認ガイドである金髪の彼女の口調は重みと深みがあった。


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死の壁の次は、12人が一気に並ぶことが出来る「絞首台」が堂々と道端にあった。

ここでは脱走犯などを処刑し、見せしめとして晒していたらしい。

絞首台の後ろには写真と一緒に説明があって、「1943年7月19日にアウシュビッツにてあった最大の公開処刑によって吊るされたポーランド人の被収容者」と書いていた。


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絞首台の横には、被収容者用の病院があった。

この病院は形だけの病院で、多くの人がここで心臓に注射を刺されて亡くなった。


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また歩き出して有刺鉄線を越えた。

するとSSの事務所などがあった。


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奥には絞首台があって、戦後1947年4月に収容所の所長がここで死刑されたと言う。


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奥左の建物が所長の家で、右の建物が彼のオフィスだそうだ。


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ここはSS用の病院だ。


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ここはアウシュビッツ1のガス室だ。

 

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“あなたは、SSが数千もの人を殺害した建物の中にいます。ここでは静かにしてください。人々の恐れを忘れず、彼らの思いに敬意を払ってください。”

 

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中に入ると真っ暗で、さらに地下に降りていった。

天井を見上げるとガス缶が投入された穴が開いていた。


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この部屋が何千もの犠牲者を出した部屋だ。


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隣には死体を焼く焼却炉の部屋があった。

 

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1時間30分ほどしてツアーの前半が終わり、10分間の休憩だ。


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その間に書店でアウシュビッツの案内書6€を購入した。

 

また、ワゴン車に乗って3km離れたビルケナウへと向かった。


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到着すると、バスを降りて少し歩いた。

ここはかなり田舎で周りは田や畑だらけだ。


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被収容者達を乗せた列車の線路がまだ残っている。

その奥には広大な土地が有刺鉄線で囲まれていた。

中にはいくつもの小屋が見える。


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ここがビルケナウの入口だ。

この門はSSの監視所だったらしく、列車はここを抜けて敷地へ入っていく。


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また先程のガイドと再会して、門をくぐっていった。


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線路より右側は、木で出来た小屋が並んでいて、男性の被収容者が収容されたそうだ。

左側は、レンガで出来た小屋があって、女性や子供用のようだ。


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すると、「アジア人で唯一のアウシュビッツ公認ガイド」である中谷さんの姿を見つけた。

自分も彼に直接連絡をとって、ツアーの予約をしようとしたが9月は全て予約が埋まっているとの返信を頂いた。

伝説的な存在である彼はもちろん多忙だ。

英語がわからなければ、彼のツアーに200€近く払って参加するか、自力で行くしかない。


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ツアーに戻って、ガイドの話を聞いた。

後ろには防火用のため池がある。

水も食料も十分に与えられなかった被収容者は、この中に飛び込んだ者もいたのではないかと思った。


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線路は敷地内にずっと続いている。

かなり広いこのビルケナウは世界最大の殺戮施設だったとのことだ。


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中間地点には当時被収容者が乗っていた列車があった。

これにはトイレもなく、水道もない。

この環境の中でノルウェーギリシャから長い時は10日もかけて連れて来られる。

その悲惨な環境によって、ビルケナウに到着する頃には死んでしまう人も大勢いた。
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この中間地点、いま自分がちょうど立っているところで“選別”が行われた。


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過酷な列車の旅を終えて、衰弱しきった人々の多くが左(即死刑)へと送られたそうだ。

そして右に行く者は、14歳以上の男女で性別や体型に関係なく、同じ量の労働をさせられる。

14歳以下の子供達は例外を除いてほぼガス室へと送られた。

例外は、双子に子供で、なぜ双子は生まれるのかという人体実験に使用されたそうだ。


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このビルケナウも被収容者によって造られた。

敷地内の左側にある小屋はレンガで造られていて、当時近隣に住んでいた人々を退去させ、彼らの家を破壊してその材料にしたらしい。


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さっき見たため池の横には、木製の監視所がある。


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線路の最後には花が供えられていた。


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“この地が絶望の叫び声であり、ナチスが約110万人の男、女、子供を殺害した場所であるという人々への注意喚起を永遠に残そう。

犠牲者の多くは、主にヨーロッパ諸国のユダヤ人であるということを。

アウシュビッツビルケナウ 1940-1945”


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線路の後ろには、SSによって壊されたガス室の残骸が散らばっていた。


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奥にある階段が地下室への入口だったらしい。


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戦後、ナチスドイツは証拠隠滅の為、ガス室や「カナダ」と呼ばれる略奪した物品の保管庫を破壊し始めた。

また被収容者の毛髪や略奪した物品を祖国ドイツに送ろうともしていたが、間に合わなかったものもあり、それらは現在博物館に展示されているのだ。


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当時のガス室の様子が写真におさめられていた。


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この池で被害者達の遺灰が見つかった。

ナチスの大量虐殺の被害者へとなってしまった男性女性子供たちの記憶へ。ここに彼らの遺灰があります。彼らの魂が安らかに眠らんことを。”


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門の方へと引き返して、歩いていく。

すると、右手にレンガ造りの小屋が近くに見えてくる。

ガイドに従って、ある一つの小屋に向かっていった。


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“このバラック(=小屋)(死のバラックと呼ばれる)は、特殊な隔離場所として使用され、仕事に不向きな強制収容所の女性はここに送られ、ガス室で殺された。彼女達は食料や水も無しに、ときには数日間、ここで自らの死を待たなければいけなかった。多くの人々が、ガス室に招集される前にこのバラックで亡くなった。バラックが満員の時は、新しく来た人々は外の庭に収容された。”


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ここも庭は四方が壁で覆われている。

理由は同じく、他の被収容者に見せないためだ。
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さっそくそのバラックに連れて行かれた。


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中は、木で出来た三段のベッドがいくつも並んでいた。

地面は瓦礫がいっぱい転がっている。

ガイドは、「この中に700人が収容された」と言っていた。

とてもじゃないが、700人が入るスペースではない。

 

他のバラックでは、一つのベッドに2、3人が収容され、掛け布団一枚を全員で使用したらしい。

ベッドに入りきらないと、床で寝させられる者もいた。

床は寒さとネズミの被害があって、早く死んでしまう者が多かったらしい。

 

当時のポーランドは冬は極寒で、夏は酷暑だったらしく、被収容者達は非常に苦しんだ。

 

さらに、支給される食事は、朝はなく、昼は腐った野菜で作ったスープ、夜はパン一切れだ。

さらに排泄は1日に2回と決まっていた。

そんな過酷な状況で生きていけるものはもちろんいない。


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男性用のバラックは見ずに、ツアーは終了した。

最後にツアーガイドは「被収容者のほとんどは死にました。なんとか生き残った者も、後に多く亡くなりました。その死因の多くは過食なのです。過酷な状況にいた彼らの胃は驚く程に縮んでしまっていて、通常の人間の食事量には適していなかったのです。なので、結果的にほとんどが死んでしまいました。このポーランドが収容所の場所に選ばれたのは、ここにユダヤ人全人口の約数10%が住んでいたからです。」と締めくくった。

 

彼女はおそらくポーランド人だ。

彼女の視点から見たアウシュビッツの説明は、おそらく日本人である中谷さんよりも重みと説得力があって、情報量が多いと思う。

日本語ツアーの約5分の1の料金ではあるが、価値は同等かそれ以上だ。

ツアーが終わってから、このツアーに参加して良かったと感じた。


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最後にアウシュビッツの風景をしっかりと目に焼き付けた。

自分が生まれた国籍、時代、場所、環境には感謝してもしきれないと思った。

 

そして、また1時間ほどワゴン車に乗ってクラクフの市内へと帰った。


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19:30ごろ

自炊するのが面倒になったのと、ポーランドの通貨を使い切ってしまいたかったので外食することにした。

一度来たことがあるポーランド料理屋だ。


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ビールと、肉の入ったピロギを注文した。


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ピロギを完食した後、通貨消費の為、パイも注文した。

お会計は8.4€だ。

 

ホステルへ帰るとすぐに翌日発のブルノ行きのバスを予約した。

 

本日の出費は、

ホステル宿泊費7€、食費9.7€、トイレ代0.5€、ガイドブック6€、ブルノ行きバス代20€で

合計43.2€

クラクフ2

9/20

 

本日は「アウシュビッツ強制収容所」に朝6:30のバスに乗って行く。

 

・・・つもりだったが、寝過ごしてしまい10時に起きた。

どっちみち7:30に指定された入場時刻には間に合わなかったし、10-16時の間はツアーのみの入場になるのでしっかりと全部見れる自信がなかった。

 

気をとりなおして、市内観光にシフトチェンジした。

 

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昼12時

ポーランドの京都」と呼ばれるクラクフは、小さい街だが中世の街並みが残っていて、歩くだけで楽しい。

17世紀初頭まで、ポーランドの首都はワルシャワではなくクラクフだったらしい。


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旧市街の入口には、城砦である「バルバカン」がある。

もともと外敵の侵入を防ぐために城壁があって、その一部がこのバルバカンらしい。

15世紀に造られたこのバルバカンは、第二次世界大戦ナチスドイツに破壊されたが、戦後に復元された。


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バルバカンの後ろには「聖フロリアン門」があって、この門をくぐると旧市街へと入れる。


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門の手前には、門とバルバカンの模型があった。


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門の中からは旧市街が見える。


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門をくぐって、旧市街に入ると雰囲気ががらりと変わった。

中世らしき街並みが出てきて、タイムスリップしたような気分になる。


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後ろを振り返ると、聖フロリアン門がどんと構えていた。


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旧市街は自動車立ち入り禁止のようだが、すぐ横の通りには、観光客向けの自動車などが通っている。


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クラクフでよく目にする、この円形のパンの露店がここにもあったので一つ買ってみることにした。

味はゴマ、チーズ、塩、ミックスがある。

自分はミックスを選んだ。

一個1.8ズウォティ(約56円)とかなり安い。

こういう露店はずっと昔、もしかしたら中世の頃からあったんだろうなと思った。

 

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クラクフはスタバもオシャレだ。


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旧市街をまっすぐ進むと「聖マリア聖堂」だ。

聖堂の裏側はとても大きな広場になっていた。

ここが「中央市場広場」だ。


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かなり広い。

至るところで、頭に鎧らしきものを付けた二頭の馬に引かれた馬車が観光客を乗せている。

面白いのが、運転手は皆美女ばかりということだ。

観光向けなのか、馬車の運転手になるには、おそらくある程度のルックスが必要らしい。

しかし、実際には美女の横に本物の運転手らしきおじさんが乗っていることが多かった。


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振り向くと聖マリア聖堂が存在感を出して立っていた。


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また進行方向を向いて、広場の中央にある建物に入っていった。


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ここは「織物会館」と呼ばれていて、中はお土産がたくさん売っている市場になっている。


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さっそく入ると、上部にクラクフの紋章があった。


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まずは右を向いてみると、革製品、宝石、雑貨などの店がずらっと並んでいる。


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次に左を向くと、同様に様々な店が並んでいた。


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右にも左にも行かず、そのまま建物を真っ直ぐつっきってみると広場の反対側に出てきた。

織物会館は、本当に広場の“中央”にあるということだ。

広場の逆半分を見て、200m四方のこの広場がいかに大きいかわかった。


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織物会館の広場に面している方は、飲食店が並んでいる。


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広場の反対側には「旧市庁舎塔」がある。

お金を払って、ここに登り、旧市街の街並みを眺めるのもありだ。


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広場を抜けて、少し歩いて行くとカトリック教会があった。

クラクフはレンガで出来た建物が多いことに気づいた。


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昼食をとろうと思い、yelp(グルメアプリ)で人気No1のレストラン「Kuchnia U Babci Maliny」へ向かった。


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店先で立っている女性に店内まで案内してもらった。

建物の中に入り、かなりややこしいところを進んで行く。


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13時すぎだった為か、店内は空いていた。

しかし、店員はなかなか来ず、10分ほど待ってようやく厨房から出てきた。

 

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メニューを見てもわからないので、「ランチメニューをお願いします。」と言うとあっさりとオーダーを通してくれた。

本日のランチはこの紙に書いてあるメニューらしいが、ポーランド語で書かれているため、内容がまったくわからない。

18ズウォティ(約4.2€)のお会計を先に支払って、席についた。

 

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まず出てきたのは、フィッシュカレー風味のスープだ。

そして、シソ味の甘いお茶。

 

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中には細切れのパンが浸されていた。


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さらに、煮たブリのような食感の魚がゴロッと出てきた。


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スープを飲んでいると、メインディッシュが登場した。

ハンバーグのような肉の塊に、備え付けはマッシュドポテト、サラダ、ピクルスだ。

伝統的なポーランド料理を出すことで有名なこの店では、何を出されても驚かない。

味はまあ悪くもなかった。

 

店を出てすぐ近くのジェラート屋へと入った。


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おすすめを聞くと、ピスタチオ味が人気とのことなのでそれを頂いた。

ひとすくいのはずなのに、ふたすくい分貰える。

これで1€とかなり安い。


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ジェラートを食べ終えて、また広場へと戻った。


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広場の端では、鳩に餌をやるおじさんがいて、その人のところに鳩が群がっていた。

このおじさんは自分が座っている椅子のとなりに「5zt」と書いた段ボールを置いていた。

そのおじさんにお金を払うと、鳩に餌をやらせてもらえ、餌付けした人のところに大量の鳩が群がる。

こんなことまで商売にするなんて、なんてずる賢いやつだと思った。


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聖堂の裏には「聖バルバラ教会」があって、その前では撮影をしていた。


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どうやら強盗らしき3人組が銃を構えて店に入って行くというシーンを撮っているようだった。


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広場を抜けて、隣の通りには少し小さい広場がある。

ここには木の大きな樽や木の小屋が並んでいて、かなり雰囲気が良い。


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普段は売店であろう小屋は、すべて閉まっていた。


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広場を離れて、南へ歩いていくと宝石屋があった。

ポーランドはアンバー(琥珀)が有名のようだ。


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馬車が走る中世のような街並みを歩いていると、教会の下でピアノを演奏する人とオペラ風の歌を歌う人がいた。

こういう風に、持っているセンスや才能を惜しみもなく恥ずかしがらず人前で披露出来るのは素晴らしいことだ。

そういう人がヨーロッパの国々では多い気がする。


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また琥珀を売りにする宝石店があった。


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綺麗な街並みを進んでいく。


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すると、「ヴァヴェル城」が丘の上に立っているのが見えてくる。


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城の隣には「ヴァヴェル大聖堂」があるようだ。
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丘を登ると、クラクフの街がかすかに見渡せる。

そこまで高い場所ではない。


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丘の上は、城と聖堂がある。

おそらくこの建物が聖堂だ。


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こっちは城だと思う。

丘を下って、また歩きだした。


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ちょうど休憩したいなと思っていたので、適当なカフェに入った。

「Pralnia Frania Cafe」というカフェで、アイスフルーツティーが2.1€だった。

 

17:30

カフェで休憩を終えて、街に出るとすぐにユダヤ人街である「カジミエシュ地区」に着いた。

 

カジミエシュ大王という人が当時迫害されていたユダヤ人を保護したらしい。

しかしそれも第二次世界大戦までで、戦後はこの地区もかなり荒廃したとのことだ。


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クラクフの中心地とは少し違った、暗いような、独特な雰囲気がある。


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JEWISH COMMUNITY CENTRE(ユダヤ人コミュニティセンター)。

ユダヤ人は少なからずいるようだ。


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レストランの壁などには、ユダヤ人の言語であるヘブライ語が書かれていたりする。


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独特な湿っぽい雰囲気だ。

この通りを抜けると広場が出てきた。


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椅子に座った誰かのモニュメントがあったりする。


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このレストランは映画の舞台になったか何かで、スティーブンスピルバーグも来たことがあるらしい。


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広場にはユダヤ教に関連するグッズが売っていた。


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広場の周りにはユダヤ人の礼拝所であるシナゴーグだらけだ。

ハンガリーではシナゴーグは観光地化されていて、大きなものが2つくらいしかなかった。

しかし、ここは普通の教会と同じくらいの数のシナゴーグがある。


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ユダヤ人街をぶらりと歩いて、川に到着した。


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スロベニア語と同じく、ポーランド語でも橋は「Most」と言うようだ。


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夕日が綺麗だった。

当時ここにいたユダヤ人もこうして同じ夕日を見ていたのだろうか。


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橋は渡らず、川沿いを歩くと大きなショッピングモールが出てきた。


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日中は暑いといっても、朝方は徐々に冷えてきたのでH&Mで長ズボンを一着と靴下7枚セットを購入した。

 

H&Mの横にあったスーパーマーケットでついでに夕飯の食材も買っておいた。


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夕食はベーコンのペペロンチーノとチーズパンだ。

飲みものは、瓶ビールをホステルにあったワイングラスに注いだ。

デザートに白ブドウを食べてかなり満腹になった。

それでもこの夕食はおそらく5€もしないと思うと、ポーランドの物価の安さは非常に有難い。

 

明日はついにアウシュビッツだ。

英語のツアー40€を予約して行くことにした。

人類史上、最悪の負の歴史をしっかりと目に焼き付けよう。

 

本日の出費は、

ホステル宿泊費8.6€、食費7.72€、お土産代1.9€、H&M服代26€、アウシュビッツツアー代40€で、

合計84.22€

 

 

クラクフ1

9/19

朝10:00頃

本日は世界遺産の「ヴィエリチカ岩塩坑」に行くことに決めていた。

 

ホステルからすぐのクラクフ中央駅へと向かった。

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駅で電車の時間を調べると、8:30発、14:30発、15:30発とちょうどいい時間がない。

ネットで他の行き方を調べると、どうやらバスでも行けるらしい。

 

クラクフ中央駅を出てすぐの「Dworzec Główny Zachód (Galeria)」というバス停から304番のバスが20分毎に出ているとのことだ。

 

バス停には「304番のバスは、8/18よりオグロドバという隣の通りに変更となりました。」との貼紙が貼ってあった。


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早速オグロドバ通りのバス停に向かうと、304番のバスが2台止まっていて、あっさりと乗車することが出来た。

車内中央に券売機があり、そこで40分間有効のチケットを3.8ズウォティ(約0.9€)で購入した。


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ヴィエリチカ岩塩坑にはすぐに到着した。


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観光客らしき人は皆そこで降りる。

停留所から、100m先にヴィエリチカ岩塩坑の入口があるようだ。


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ようやく到着した。

ここが入口だ。

中に入ると、オンライン予約のブースや当日券購入のブースがあった。


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当日券購入はかなり並んでいて、20分程待った後、ようやく購入出来た。

通常89ズウォティ(約21€)で、学生69ズウォティ(約16€)だ。

受付で「学生証があるんですが」と言うと、提示することなくあっさり学生料金に変えてくれた。

さらに、カメラ撮影代として10ズウォティ(約2.4€)支払った。


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岩塩坑には団体でしか入ることが出来ず、英語やドイツ語などの現地ツアーで入ることとなっている。

幸いにも、英語のツアーは最も頻繁に開催されていた。


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チケットを購入したのが12:00過ぎだったが、チケットには13:00のツアーに参加するよう記載されていた。

 

暇を潰すため、チョコアイス0.6€を近くの売店で買ってのんびりしていた。

 

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13:00になり、ツアーが開始した。


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全員が入口でこの機械を受け取り、ガイドの音声案内を聞いて歩いて行く。

ツアーが始まると、まず380段の階段をずっと降りて行く。

7段ずつの木製の階段を、約54回繰り返す。


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ようやく階段を全て降りきると、そこは真っ暗で寒い洞窟になっていた。

ここは温度が14度〜16度となっているらしい。

上着を持ってきてよかったと思った。


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崩壊を防ぐためなのか、積み上がった木が床と天井を支えていた。


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これらの壁や、彫刻は全て岩塩で出来ている。

ここは1044年から1950年代まで稼働していた世界最古の製塩企業らしい。


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ツアーガイドに従ってずっと歩いていく。


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至る所に塩で出来た彫刻がある。

この塩を採掘する人々の彫刻だ。


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馬を使って、塩の塊を下から上に持ち上げていたらしい。


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また更に下に降りていく。


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塩で出来た小人もいた。


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天然の塩水が湧き出ていて、舐めさせてくれた。

当たり前だが、かなりしょっぱい。


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塩水を取り出す工程を表した模型もある。


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面白いことに、人々はこの岩塩坑の中に礼拝所を作った。

この岩塩坑の中心でお祈りをしていたらしい。


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さらに進むと、この岩塩坑のメインである広場が登場した。


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シャンデリアでさえも塩で出来ているらしい。


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ここで自由時間として10分ほど与えられたあと、ツアーがまた再開された。


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ここは塩水のため池のようなところだ。

この時点で地下110mの深さにいるらしい。

 

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ここは木を組み立てていくうちに、その形がまるで教会のような神秘な造りになったことで有名な場所だ。


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大きなため池が登場し、標識を見ると「地下130m」と書いていた。

 

ツアーの最後は売店がある広場で解散となった。

最後にツアーガイドはこう言った。

「この岩塩坑は全長300kmあります。あなたたちが本日見たのはわずか1%ということを忘れないでください。」

 

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幸いなことに、地上へはエレベーターで上がることができる。

他の誘導員に従って、ずっと歩いていった。

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ようやく外に出ると、綺麗な街並みがあった。


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気分転換にジェラートでも食べようと思い、クリーム&チェリー味のジェラート0.7€を買い、バス停へと向かった。

 

ホステルへ到着し、少し休むことにした。


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夕食を食べようと外に出ると、ローカルっぽいレストランがあった。

実はその前に自炊しようとスーパーで色々買ったのだが、安そうなレストランがあったので入ることにした。


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生ビールと「ピロギ」を注文した。

ピロギはポーランドの伝統料理で、水餃子のような形をしている。

しかし、中にはじゃがいもやチーズが入っていて不思議な味だ。

おかずというよりは、主食としてもいけそうだ。

お会計は5.2€だった。

 

本日の出費は、

ホステル宿泊費8.6€、食費8.2€、岩塩坑18.5€、バス代1.8€で、

合計37.1€

ウィーン2 & 移動日(ウィーン→クラクフ)

9/17

ウィーン到着から3日目

 

本日はウィーンの観光の目玉である世界遺産シェーンブルン宮殿」に行くことにした。

ホステルからはかなり遠い。

 

昼までベッドの上でだらだらとしてから、外に出た。

 

まずはエネルギー補給。

昨日行ったケバブ屋にまた行くことにした。

 

昨日は一人だった店員の数が本日は二人いる。

ランチタイムということもあり、店は忙しそうだった。

 

店員のうちの一人は昨日いた人だった。

自分の顔を見ると、「覚えてるよ」といった感じで注文を聞いてくれた。

 

昨日と同じ「ドネルケバブ」3.5€を注文し、缶ジュースと甘いスイーツを先に受け取った。

 

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しばらくしてケバブが渡された。

夕方まで何も食べなくても大丈夫なくらいの量の多さに大満足だ。


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そして、ずっと気になっていた備え付けで出てくる、やたらと甘いスイーツについて調べてみると、どうやら「バクラヴァ」と呼ばれるトルコなどで食べられているスイーツらしい。

生地をスプーンで押すと出てくる甘ったるい汁の正体は、生地を焼いた後にかけるシロップだった。

 

エネルギーも十分に補給したところで、店員に「ダンケ!!(ドイツ語で「有難う」)」と言い、店を出た。

オーストリアではドイツ語が公用語として話されている。


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のんびりと街を歩いて行く。

本日は16時に最高気温の27度になる。

 

現在、14時ごろで約25度。

日向を歩いていると日光がきついので、出来るだけ日陰を歩いた。


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本日が最終日なので、ウィーンの街並みをしっかりと目に焼き付けようと思った。

音楽、そして芸術の街。


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公園らしき道を抜けると、シェーンブルン宮殿の大きな入口が出てきた。


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約1時間半、距離にして5.7kmの道のりを歩いたことになる。

電車を使えば使えば、片道2.4€(約320円)で来れる。

しかし、歩いているからこそ出会う風景や発見がある。


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早速、宮殿の敷地内に入ることにした。

マリーアントワネットの母、マリアテレジアがこの宮殿を金色にしたかったらしいが、財政上、黄色になったらしい。

この黄色はマリアテレジア・イエローと呼ばれている。


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この宮殿には1441室あり、そのうち40室が一般公開されている。

それらの部屋を見ようとすると入場料が必要となる。

この宮殿は、6歳のモーツァルトが初めて演奏した場所であり、マリーアントワネットが育った場所でもある。

モーツァルトが転んだ際に、彼を助けたマリーアントワネットに向かって、「結婚しよう」と言ったという話も有名だ。


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中には入らず、宮殿の裏側にある広大な庭に向かった。


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かなり広い。

宮殿よりもこの庭がメインじゃないかと思うくらいの大きさだ。


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庭の奥には「ネプチューンの泉」があり、その泉の中から宮殿を見ることが出来る。


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ネプチューンの泉を越えて、さらに丘を登ると「グロリエッテ」というモニュメントがある。

ここから宮殿を含むウィーンの街並みが一望できる。


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グロリエッテに登って、本を読んでしばらく休憩。

持ってきたのは岡本太郎が書いた「自分の中に毒を持て」という本だ。


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読みふけっていると、夕日が沈み始めてきたので丘を下ることにした。


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素晴らしい景色と夕日のコンビネーションを見ることが出来て、非常に満足だ。

帰りは電車に乗って帰り、途中でスーパーマーケットに寄ってホステルで自炊した。

本日の出費は、

ホステル宿泊費20.49€、食費14.9€、宮殿内トイレ0.5€、お土産2.9€、電車賃2.4€で

合計41.19€

 

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9/18 移動日

 

本日はポーランドの「クラクフ」という街に移動する日だ。

いつもどおりのFlixBusで、ウィーン13:25発のクラクフ20:15着だ。

 

午前11:00

チェックアウトを済ませ、ウィーン中央駅まで5.2kmの距離を歩いた。


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電車に乗れば2.4€だが、ウィーンの街を最後に歩いて見る方が価値がある。


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バスの移動時間は7時間弱ある。

朝から何も食べていないので移動前に何かお腹に入れておこうと思った。

結局、量と値段を考えるとマクドナルドのセットが一番コスパが良かった。

デザートにアイスクリーム入りコーヒーまで飲んで、全部で6.9€だ。


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ウィーン中央駅は広いため、バスを見つけるのに苦労するかなと思っていたが、国際線のターミナルがしっかりと分かれているのですぐにわかった。


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車内に乗り、バスが動き出した途端、「フリックスブーーーシュカッ!」とポーランド語らしき音声ガイドが始まり、思わず笑ってしまった。

どうやらバスをブーシュカというようだ。


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途中でチェコの「ブルノ」という街を経由した。

ここはクラクフの次に行くつもりだ。

 

20:15ぴったりにクラクフに到着した。

数万人のユダヤ人がこの道を通ってアウシュビッツ強制収容所まで連れていかれたのかと考えると、クラクフに行くまでの道は少し感傷的になってしまった。

 

駅近で便利な今回のホステル「Bison Hostel」でチェックインを済ませ、クラクフ中央駅にある大きなショッピングモールへと向かった。

 

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ショッピングモールの中にあるスーパーマーケットで食材を購入し、ホステルで自炊することにした。


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ハムやチーズなどの具が入ったパンと、唐辛子のないペペロンチーノが今晩の夕食だ。

 

ポーランドは驚く程、物価が安い。

滞在中は安心だ。

本日の出費は、

ホステル宿泊費8.6€、食費9.7€で

合計18.3€

 

ウィーン1

9/16 正午12:00

 

快適なベッドの中でゆっくり休んで、本日は少し遅めに外出した。

 

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どうしてもザッハトルテを食べてみたく、適当なカフェに入った。


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「aida」という1913年から営業している歴史あるカフェだ。

しかし、後にわかったことだが、ここはチェーン店で至る所に支店があった。


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店頭には様々なケーキが並んでいる。


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見た目からそれらしきものを見つけたので、このケーキとコーヒー小を注文した。


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円形のザッハトルテは見たことがないなと思っていると、選んだケーキと一緒にエスプレッソが出てきた。

コーヒー小はここではエスプレッソのようだ。

ザッハトルテに生クリームはついていなかった。


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一口食べてみたがとても甘い。

コーティングのチョコは砂糖が甘ったるく、中のケーキもまた甘かった。

その甘さがエスプレッソの苦さと相まってちょうど良い感じだ。

中のケーキは、アンズらしきジャムの味がほんのりする。

想像していたのと違うなと思いながら、甘いケーキと苦いコーヒーを食べた。

お会計は7.4€と高すぎず、安すぎなかった。


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カフェを出て中心地を歩いていると、かつて宮殿として造られた建物を使用している「カフェ・ツェントラル」があり、沢山の人が並んでいた。


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カフェ・ツェントラルを通り過ぎて更に歩くと、「ホーフブルク宮殿」が姿をあらわす。

この宮殿は、ヨーロッパ随一の名門王家であるハプスブルク家に640年に渡って使用されていた。

現在は、博物館や大統領の公邸等の役割を持っている。

 

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宮殿の周りは、当時の貴族の気分を味わおうと馬車にひかれて移動する人々が沢山いる。


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宮殿の正面の壁には、立派なモニュメントがあり、当時の権力の大きさがわかる。


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宮殿の前には「聖ミヒャエル教会」が目立っている。
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宮殿の前では何台もの馬車が待機していて異様な光景だ。


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宮殿に入るとそこには大きな広場がある。

この広場はおそらく宮殿の敷地内なので、昔は一般人は入れなかったであろう。


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さらにその宮殿を抜けると、また大きな広場が出てくる。

この広場をまた抜けると、昨日行った「マリア・テレジア像」のある広場に出るようだ。


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もう一度宮殿に引き返した。

馬車が中に入って行く様子は、貴族そのものだ。


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外の壁には別のモニュメントがあり、ネプチューンらしき彫刻があった。

ネプチューンはよく出てくる。


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宮殿を出て、右側の道をずっと歩いて行った。


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人だかりができていたところがあったので覗いてみると、どうやら馬の飼育場らしき建物だった。


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そのすぐ近くではピノキオ専門店があった。


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ずっとまっすぐ歩くと、豪勢なツーリストインフォメーションの建物があった。


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なぜかこのホットドッグ屋はかなり行列ができていた。

このすぐ近くに、世界一のオペラハウス「ウィーン国立歌劇場」がある。


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ここは「ホテルザッハー」だ。

もちろん有名なのはこの下にあるカフェ「カフェザッハー」だ。


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外に溢れ出るほどの行列が出来ていた。

1832年からあるこの店は「ザッハトルテ」の発祥店と言っても過言ではない。


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さすが有名店だなと感心していると、店の裏側の入口でも同様に列はできていた。


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その裏側の入口がある通りは、ファッションブランドなどが並ぶ若者向けの通りのようだった。


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若者通りの一つ隣の通りには「カプチーナ教会」がある。

この質素な教会は、驚くことにハプスブルク家代々の墓所となっているらしい。

マリーアントワネットの母、マリアテレジアもここに埋葬されているとのことだ。


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教会の前には、「ドンナーの泉」と呼ばれる18世紀に作られた泉があった。


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ウィーンにはお土産屋が多いが、その多くは当然ながらモーツァルトを広告塔にしている。


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若者通りをまっすぐ進むと、世界遺産の「シュテファン大聖堂」がでてくる。

ここは歴代ハプスブルク家君主の墓所でもあり、モーツァルトの結婚式や葬儀が行われた場所だ。

ここは世界で3番めに高い教会らしい。


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中には無料で入れる。

教会中央の鉄網で仕切られた部分は有料だ。

この教会は大きいが、バチカン市国にあった「サン・ピエトロ寺院」に比べると物足りなかった。


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教会のすぐ近くにあるのは「モーツァルトの家」だ。

今は博物館となっているこのアパートには、実際にモーツァルトが住んでいたらしい。


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アパートの前には石の小さな椅子があった。

モーツァルトもおそらく一度はここに座っただろうと思い写真をとった。


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ここはオーストリア定番のお土産「Manner(マンナー)のウエハース」の店だ。


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少し歩くと「聖ペーター教会」がある。

ここも入場料は無料だ。

毎週土日の17時にここでモーツァルトのコンサートをやっているらしい。


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教会の横には、「ペスト記念柱」があった。

ヨーロッパで大流行し、大勢の人々を死に追い込んだペストの終焉を祝って作ったらしい。
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15:00ごろ

また宮殿へとたどり着いた。


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宮殿の前にはローマ時代から残る遺跡があるが、あまりパッとしない。


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ホステル方面へ向かっていると、行列ができている店があった。

Google Mapで調べるとどうやらカフェのようだが詳しくはわからなかった。


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その通りにある「カフェツェントラル」は相変わらず人々が並んでいた。


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ホステルへ帰る途中、お腹が空いたので適当にケバブ屋へ立ち寄った。

ドネルケバブ」が3.5€とまあ高すぎず、安すぎでもない妥当な値段だった。


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すると出てきたのは、子供用の野球グローブ程の特大ケバブ

さらに、冷蔵庫からジュースを選べと店主は言う。

また、ケバブにはデザートまでついていた。

 

これで3.5€は安い。

 

かなりの満腹感を覚えて、デザートを食べるとかなり甘かった。

パイ生地を砂糖水につけたようなデザートだ。

とても甘ったるい。

 

本日は日曜日なのでどこの店も空いていない。スーパーマーケットも、全世界的にあるファストファッションの店でさえも開いていない。

日曜という日は、キリスト教では全員が休息をとる日だという考えがヨーロッパではしっかりと浸透しているらしい。

稼ぎ時である日曜日に店を閉めるというのは、ビジネスとしてどうなのかと思うが。

 

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ホステルの近くに唯一開いているSPAR(スーパーマーケット)があった。

そのスーパーに寄ろうと思ったが、なんとそこは病院の中にあるようで入ることが出来ず、この大きな病院をぐるっと周って帰ることとなった。

 

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19:00

同じ部屋に泊まっているベルギー人の男性は良い奴そうだ。

同い年で誕生日が1日違いだ。

交換留学でウィーンに来ていて、これからここで半年過ごすらしく、住居の手続きが済むまでホステル生活とのことだ。

 

ベルギーの首都ブリュッセルのことを聞くと、彼が言うには家賃は学生寮で400€、普通だと700、800€はするらしい。

給料は大卒で1800€スタートだ。

生活水準は、どうやら日本とあまり変わらないようだ。

 

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20:00

ホステルの受付でスーパーマーケットを聞いてみると、なんと徒歩15分のところに22時まで開いている「BILLA」というスーパーがあるらしい。

 

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ホステルの受付にはこの紙が貼っていた。

おそらくここの需要はかなりあるようだ。


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歩いてちょうど15分でそのスーパーは見つかった。

比較的大きめなスーパーで色々な食材が売っている。


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そこで缶ビールとサンドイッチを1.92€で購入し、ホステルに向かいながら食べることにした。

 

明日は電車に乗って、ウィーンの宮殿巡りをしようと思う。

 

本日の出費は、

ホステル宿泊費20.49€、食費12.82€、

クラクフ行きのバス代12€で

合計45.31€