クラクフ3

9/21 午前11:30

 

本日は、「アウシュビッツ強制収容所」に行く予定だ。

ここは高校の世界史の授業で知ってから、一生に一度は行きたいとずっと思っていた。

ついに夢が叶ったと思うととてもわくわくする。

 

アウシュビッツは繁忙期には、10〜16時の時間帯はツアーのみ入場可能となる。

朝7:30から開いているが、2時間半で全て見れる自信がないのと、7:30までに現地に自力で到着出来るかが不安だった。

その為、英語のツアー40€を前日に急いで予約した。

 

ちなみに、日本語のツアーは1人で参加すると200€近くする。

 

f:id:kugo0828kageyama:20180923012318j:image

 

さっそくツアーの待ち合わせ場所に向かった。

12:35に指定されたホテルの前に集合だ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923012302j:image

 

赤色のキオスクがあった。

キオスクは日本のものだと思っていたが、ヨーロッパにもあるみたいだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923012359j:image

 

旧市街を通り抜けていく。


f:id:kugo0828kageyama:20180923012307j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923012356j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923012310j:image

 

昨日は閉まっていた木の小屋がある広場は、人だかりで賑わっていた。

この時間は開いているらしく、ソーセージ屋、デザート屋、花屋、お土産屋などが揃っていた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923012314j:image

 

ツアーは7時間あって軽食などは出ない為、昨日食べた、穴があいたパンを3つ買っておいた。

塩、ゴマ、チーズ味だ。

朝食がわりに塩味のパンを食べながら歩いた。

 

f:id:kugo0828kageyama:20180923012447j:image

 

今回参加するツアーはガイド付きで、Full-Day(1日)なのに12:35からスタートだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923012444j:image

 

イギリスのウェールズ出身の若い男性と、カリフォルニア出身のおじいさんと3人で会話していると、集合場所に迎えのワゴン車とバスが来た。

 

そして、進行役らしき役割のアニタという若い女性が予約確認をした後、ワゴン車とバスに適当に振り分けられた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923012455j:image

 

予約確認が出来るとツアーのステッカーが配られた。

車内のシートは狭く窮屈だ。

チーズ味のパンを半分ほどちぎって食べていると、アウシュビッツに関するビデオが車内で上映された。

1時間15分ほどして、収容所がある街「オシフィエンチム」に到着した。

 

f:id:kugo0828kageyama:20180923020946j:image

 

アウシュビッツのツアーで行くのは大体、このオシフィエンチムにある「アウシュビッツ1」と、3km程離れたところにある「アウシュビッツ2」と呼ばれるアウシュビッツ・ビルケナウだ。

 

f:id:kugo0828kageyama:20180923014001j:image

 

バスを降りると目の前にレンガ造りの建物がある。

この中はトイレや売店があって、敷地に入る前に10分間の休憩が設けられた。

 

建物の中には書店もあって、各国の言語で書かれたアウシュビッツの案内書などが売ってあった。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014537j:image

 

入口では厳しい身体検査があって、空港と同じ要領でチェックされる。

入口を入ると、有刺鉄線が何重にもはられたエリアが見えてきて明らかに異様だ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013702j:image

 

この中が被収容者達が収容されていた場所だ。

ツアーガイドは、30歳くらいの金髪の女性だ。

アウシュビッツは公認のツアーガイドしか添乗することを許されない。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013735j:image

 

有刺鉄線の先には、ついに地獄への入口があった。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013526j:image

 

“ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)”

何万人もの犠牲者がこの門をくぐっていった。

 

収容所はほとんど被収容者によって造られたものが多いらしく、「ARBEIT」の“B”が逆さまにつけられているのは、被収容者のわずかな抵抗ではないかという説がある。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013542j:image

 

有刺鉄線の中はこのようになっている。

当時は脱走を防ぐために有刺鉄線に電流が流れていた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014513j:image

 

さっそくツアーガイドについて行き、中に入った。

1940年から1945年まで使用されていたこのアウシュビッツ1は約16,000人が収容されていて、そのほとんどが殺されたらしい。

だが、ガイド曰く、ここで登録される前に殺される人も沢山いた為、実際に何人がここに来たかは正確には言えないらしい。

16,000人は最低数ということのようだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013711j:image

 

入ってすぐには、音楽隊が演奏していた小屋がある。

このオーケストラは、被収容者の数を数えたりするのに役立ったとのことらしい。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014602j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923013537j:image

 

敷地内はレンガ造りの建物が並んでいる。

約70年前にここで大殺戮があったなんて今では想像も出来ない。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014438j:image

 

建物にはそれぞれ番号がふってある。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014030j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014639j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923013630j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923013930j:image

 

4番の「殲滅」というテーマの建物へ入っていった。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014009j:image

 

まず、ここに収容された人たちがどこから来ているのかを記した地図が出てきた。

遠いところでは、ノルウェーギリシャからもここにやって来ていた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013739j:image

 

アウシュビッツナチスドイツ最大の強制収容所であり、死の収容所であった。1940年から1945年の間に、ナチスは少なくとも130万人の人々をアウシュビッツへと送った。

その内、110万人はユダヤ人、14-15万人はポーランド人、2万3000人はジプシー、1万5000人はソビエト連邦の戦犯者、2万5000人は他の民族の囚人だった。

110万の人々がアウシュビッツで亡くなった。およそ90%の被害者はユダヤ人であった。SS(ナチス)はその人々の多くをガス室で殺害した。”


f:id:kugo0828kageyama:20180923013654j:image

 

アウシュビッツに送られたユダヤ人の推定人数は、

43万人/ハンガリー

30万人/ポーランド

6万9000人/フランス

6万人/オランダ

5万5000人/ギリシャ

4万6000人/チェコ

2万7000人/スロバキア

2万5000人/ベルギー

2万3000人/オーストリアとドイツ

1万人/ユーゴスラビア

7500人/イタリア

690人/ノルウェー

加えて、およそ3万4000人のユダヤ人が他の強制収容所から送られた。”

 


f:id:kugo0828kageyama:20180923014018j:image

 

これはアウシュビッツへ送られるトロッコ列車の模型だ。

人がぎゅうぎゅう詰めになって乗せられている。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014124j:image

 

アウシュビッツ2の「ビルケナウ」に到着した人々の写真だ。

ここでまずSS(ナチスの親衛隊)によって、“選別”が行われる。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014345j:image

 

ガイドが言うには、労働力があるとみなされた者は右へ、無いとみなされた者は左へ分けられる。

左に行く者はガス室へ誘導されてすぐに殺されたり、人体実験に使われたりする。

この写真では、先頭にいる杖を持った老人が左へ分けられている様子がわかる。

 

f:id:kugo0828kageyama:20180923033852j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923033846j:image

 

これは実際に使用された大量の毒ガスの空き缶だ。

中にはツィクロンBという化学物質が入っていて、空気に触れると人体に有害な有毒性物質が出てくるらしい。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013533j:image

ビルケナウにあるガス室の模型があった。

被収容者は地下のガス室へ入られた後、洗浄、殺菌を命じられ、老若男女関係なくその場で服を脱がされた。

部屋にはダミーのシャワーや、番号が書かれたハンガー掛けがあったらしい。

SSは被収容者にこの後に起こることを予測させなうよう、徹底していたとのことだ。

全員が部屋に入ると、SSの隊員がガスマスクをつけ、地下の天井にある穴からこの缶を投げ入れた。

ウィキペディアによると、「32分で一気に800名の命を奪う」最も効率的な方法だったとのことだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014539j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014137j:image

 

被収容者の持ち物はSSによって略奪された。

これは大量のメガネと、身体障がい者の義足などである。

身体障がい者は、到着するや否や殺害される対象となったとのことだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014221j:image

 

次に写真撮影禁止の部屋へと案内された。

ここには被収容者の2トンもの毛髪が展示されていた。

その横には、毛髪で編まれた編物があった。

ナチスドイツは被収容者の持ち物だけでなく、髪、骨、肌までも産業目的で利用した。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014530j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014516j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014111j:image

 

さらに被収容者の持ち物が山のように展示されている。

スーツケースや靴、ヘアブラシや革靴用のワックスまで展示されていた。

その様子を見ると、被収容者達は本当にここに来た理由を知らなかったことがわかる。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014342j:image

 

次に被収容者の生活を展示した建物に入った。

藁のみ敷かれた寝室は、アウシュビッツ設立当初に実際に使われていたらしい。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014357j:image

 

トイレはプライベートなど全くないし、もちろん紙も無い。

水も流れていなかったらしく、非常に不衛生だったようだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013624j:image

 

藁の部屋の反対側には、敷き布団がある部屋があった。

壁には当時の収容の様子を描いた絵があるが、見るに耐えない。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013746j:image

 

その建物の通路には無数の写真が展示されていて、これはここで亡くなった人々らしい。

それぞれここへ送られた日付と、亡くなった日付が記されていた。

ガイドによると、被収容者はここへ来ると、髪を切られ、制服を着さされるらしい。

その制服は数週間、ひどい時では1ヶ月も変えることが出来ない。

また、冬場も同じ薄い服を着るため、人々は寒さに苦しんだと言う。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014015j:image

 

建物の外に出て、ガイドの話を聞いた。

ツアーの参加者は全員ヘッドホンをして、ガイドの声を聞く。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013953j:image

 

四方が壁に囲まれた庭のようなところにやってきた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013851j:image

 

ツアーの団体はガイドに連れられて皆中に入っていった。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013804j:image

 

奥にはコンクリートで出来た「死の壁」がたっている。

被収容者はこの壁に並ばされて、SSの隊員に一気に銃殺されたらしい。

ガイドが言うには、「収容所に到着するや否や、囚人登録される前にここで殺された人も大勢いる為、正確な人数はわからないが、1日に280人もの人々がここで銃殺された。」

 

f:id:kugo0828kageyama:20180923040017j:image

 

この庭が四方塞がれているのは、他の被収容者からは見えなくする為である。

実際に、両サイドの建物の窓も木の板で塞がれている。

右側はSSの事務所で、左側の建物では人体実験が行われていたらしい。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013414j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014406j:image

 

ツアーは淡々と進んでいく。

しかし、公認ガイドである金髪の彼女の口調は重みと深みがあった。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014402j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923013810j:image

 

死の壁の次は、12人が一気に並ぶことが出来る「絞首台」が堂々と道端にあった。

ここでは脱走犯などを処刑し、見せしめとして晒していたらしい。

絞首台の後ろには写真と一緒に説明があって、「1943年7月19日にアウシュビッツにてあった最大の公開処刑によって吊るされたポーランド人の被収容者」と書いていた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014021j:image

 

絞首台の横には、被収容者用の病院があった。

この病院は形だけの病院で、多くの人がここで心臓に注射を刺されて亡くなった。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013815j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923013927j:image

 

また歩き出して有刺鉄線を越えた。

するとSSの事務所などがあった。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013923j:imagef:id:kugo0828kageyama:20180923014130j:image

 

奥には絞首台があって、戦後1947年4月に収容所の所長がここで死刑されたと言う。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014036j:image

 

奥左の建物が所長の家で、右の建物が彼のオフィスだそうだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014012j:image

 

ここはSS用の病院だ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013658j:image

 

ここはアウシュビッツ1のガス室だ。

 

f:id:kugo0828kageyama:20180923041630j:image

 

“あなたは、SSが数千もの人を殺害した建物の中にいます。ここでは静かにしてください。人々の恐れを忘れず、彼らの思いに敬意を払ってください。”

 

f:id:kugo0828kageyama:20180923013557j:image

 

中に入ると真っ暗で、さらに地下に降りていった。

天井を見上げるとガス缶が投入された穴が開いていた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014027j:image

 

この部屋が何千もの犠牲者を出した部屋だ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014510j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923013505j:image

 

隣には死体を焼く焼却炉の部屋があった。

 

f:id:kugo0828kageyama:20180923014551j:image

 

1時間30分ほどしてツアーの前半が終わり、10分間の休憩だ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013706j:image

 

その間に書店でアウシュビッツの案内書6€を購入した。

 

また、ワゴン車に乗って3km離れたビルケナウへと向かった。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014338j:image

 

到着すると、バスを降りて少し歩いた。

ここはかなり田舎で周りは田や畑だらけだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014117j:image

 

被収容者達を乗せた列車の線路がまだ残っている。

その奥には広大な土地が有刺鉄線で囲まれていた。

中にはいくつもの小屋が見える。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013639j:image

 

ここがビルケナウの入口だ。

この門はSSの監視所だったらしく、列車はここを抜けて敷地へ入っていく。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013644j:image

 

また先程のガイドと再会して、門をくぐっていった。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014544j:image

 

線路より右側は、木で出来た小屋が並んでいて、男性の被収容者が収容されたそうだ。

左側は、レンガで出来た小屋があって、女性や子供用のようだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014556j:image

 

すると、「アジア人で唯一のアウシュビッツ公認ガイド」である中谷さんの姿を見つけた。

自分も彼に直接連絡をとって、ツアーの予約をしようとしたが9月は全て予約が埋まっているとの返信を頂いた。

伝説的な存在である彼はもちろん多忙だ。

英語がわからなければ、彼のツアーに200€近く払って参加するか、自力で行くしかない。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014033j:image

 

ツアーに戻って、ガイドの話を聞いた。

後ろには防火用のため池がある。

水も食料も十分に与えられなかった被収容者は、この中に飛び込んだ者もいたのではないかと思った。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014524j:image

 

線路は敷地内にずっと続いている。

かなり広いこのビルケナウは世界最大の殺戮施設だったとのことだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013958j:image

 

中間地点には当時被収容者が乗っていた列車があった。

これにはトイレもなく、水道もない。

この環境の中でノルウェーギリシャから長い時は10日もかけて連れて来られる。

その悲惨な環境によって、ビルケナウに到着する頃には死んでしまう人も大勢いた。
f:id:kugo0828kageyama:20180923014301j:image

 

この中間地点、いま自分がちょうど立っているところで“選別”が行われた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014505j:image

 

過酷な列車の旅を終えて、衰弱しきった人々の多くが左(即死刑)へと送られたそうだ。

そして右に行く者は、14歳以上の男女で性別や体型に関係なく、同じ量の労働をさせられる。

14歳以下の子供達は例外を除いてほぼガス室へと送られた。

例外は、双子に子供で、なぜ双子は生まれるのかという人体実験に使用されたそうだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014721j:image

 

このビルケナウも被収容者によって造られた。

敷地内の左側にある小屋はレンガで造られていて、当時近隣に住んでいた人々を退去させ、彼らの家を破壊してその材料にしたらしい。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013835j:image

 

さっき見たため池の横には、木製の監視所がある。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014318j:image

 

線路の最後には花が供えられていた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014056j:image

 

“この地が絶望の叫び声であり、ナチスが約110万人の男、女、子供を殺害した場所であるという人々への注意喚起を永遠に残そう。

犠牲者の多くは、主にヨーロッパ諸国のユダヤ人であるということを。

アウシュビッツビルケナウ 1940-1945”


f:id:kugo0828kageyama:20180923013754j:image

 

線路の後ろには、SSによって壊されたガス室の残骸が散らばっていた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013948j:image

 

奥にある階段が地下室への入口だったらしい。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013855j:image

 

戦後、ナチスドイツは証拠隠滅の為、ガス室や「カナダ」と呼ばれる略奪した物品の保管庫を破壊し始めた。

また被収容者の毛髪や略奪した物品を祖国ドイツに送ろうともしていたが、間に合わなかったものもあり、それらは現在博物館に展示されているのだ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014605j:image

 

当時のガス室の様子が写真におさめられていた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013939j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923013649j:image

 

この池で被害者達の遺灰が見つかった。

ナチスの大量虐殺の被害者へとなってしまった男性女性子供たちの記憶へ。ここに彼らの遺灰があります。彼らの魂が安らかに眠らんことを。”


f:id:kugo0828kageyama:20180923014114j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014534j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014052j:image

 

門の方へと引き返して、歩いていく。

すると、右手にレンガ造りの小屋が近くに見えてくる。

ガイドに従って、ある一つの小屋に向かっていった。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013902j:image

 

“このバラック(=小屋)(死のバラックと呼ばれる)は、特殊な隔離場所として使用され、仕事に不向きな強制収容所の女性はここに送られ、ガス室で殺された。彼女達は食料や水も無しに、ときには数日間、ここで自らの死を待たなければいけなかった。多くの人々が、ガス室に招集される前にこのバラックで亡くなった。バラックが満員の時は、新しく来た人々は外の庭に収容された。”


f:id:kugo0828kageyama:20180923013839j:imagef:id:kugo0828kageyama:20180923013831j:image

 

ここも庭は四方が壁で覆われている。

理由は同じく、他の被収容者に見せないためだ。
f:id:kugo0828kageyama:20180923014003j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014454j:image

 

さっそくそのバラックに連れて行かれた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014040j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923013819j:image

 

中は、木で出来た三段のベッドがいくつも並んでいた。

地面は瓦礫がいっぱい転がっている。

ガイドは、「この中に700人が収容された」と言っていた。

とてもじゃないが、700人が入るスペースではない。

 

他のバラックでは、一つのベッドに2、3人が収容され、掛け布団一枚を全員で使用したらしい。

ベッドに入りきらないと、床で寝させられる者もいた。

床は寒さとネズミの被害があって、早く死んでしまう者が多かったらしい。

 

当時のポーランドは冬は極寒で、夏は酷暑だったらしく、被収容者達は非常に苦しんだ。

 

さらに、支給される食事は、朝はなく、昼は腐った野菜で作ったスープ、夜はパン一切れだ。

さらに排泄は1日に2回と決まっていた。

そんな過酷な状況で生きていけるものはもちろんいない。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014558j:image

 

男性用のバラックは見ずに、ツアーは終了した。

最後にツアーガイドは「被収容者のほとんどは死にました。なんとか生き残った者も、後に多く亡くなりました。その死因の多くは過食なのです。過酷な状況にいた彼らの胃は驚く程に縮んでしまっていて、通常の人間の食事量には適していなかったのです。なので、結果的にほとんどが死んでしまいました。このポーランドが収容所の場所に選ばれたのは、ここにユダヤ人全人口の約数10%が住んでいたからです。」と締めくくった。

 

彼女はおそらくポーランド人だ。

彼女の視点から見たアウシュビッツの説明は、おそらく日本人である中谷さんよりも重みと説得力があって、情報量が多いと思う。

日本語ツアーの約5分の1の料金ではあるが、価値は同等かそれ以上だ。

ツアーが終わってから、このツアーに参加して良かったと感じた。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013933j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014328j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014049j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923013750j:image

 

最後にアウシュビッツの風景をしっかりと目に焼き付けた。

自分が生まれた国籍、時代、場所、環境には感謝してもしきれないと思った。

 

そして、また1時間ほどワゴン車に乗ってクラクフの市内へと帰った。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013823j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014350j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014127j:image

 

19:30ごろ

自炊するのが面倒になったのと、ポーランドの通貨を使い切ってしまいたかったので外食することにした。

一度来たことがあるポーランド料理屋だ。


f:id:kugo0828kageyama:20180923013550j:image
f:id:kugo0828kageyama:20180923014335j:image

 

ビールと、肉の入ったピロギを注文した。


f:id:kugo0828kageyama:20180923014107j:image

 

ピロギを完食した後、通貨消費の為、パイも注文した。

お会計は8.4€だ。

 

ホステルへ帰るとすぐに翌日発のブルノ行きのバスを予約した。

 

本日の出費は、

ホステル宿泊費7€、食費9.7€、トイレ代0.5€、ガイドブック6€、ブルノ行きバス代20€で

合計43.2€