#42. 🇫🇷ヴェルサイユ宮殿
10/20
夜8時頃、パリのBercy駅に到着した。
大学の友達であるリナと、その彼氏アレクシがバス停の近くまで迎えに来てくれた。
二人と合流して、駅の近くにあるレストランに入る。
立派なフランス料理を二人にご馳走してもらい、アレクシの車でエッフェル塔へと向かった。
夜のエッフェル塔はライトアップされていて、1時間ごとにチカチカと光るらしい。
いまが23:57なのでもうすぐだ。
セーヌ川沿いを歩くシーンが印象的な映画「ミッドナイト イン パリ」を思い出す。
24時になると、エッフェル塔に付けられた無数のライトが一気に光り出した。
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10/21
パリにいる間は、リナとアレクシが住む家に泊まらせてもらうことになっている。
二人が住んでいるのは、パリから外れた「Pontoise(ポントイズ)」という街だ。
二人と一緒に朝からパン屋へ行き、クロワッサンとバゲットを買った。
フランスのパンは他とは比べ物にならないほど美味い。
近所にある水曜と土曜のみ開いている市場へと向かった。
そこでアレクシがパテを買い、自宅で食べさせてくれた。
朝食を済ませた後、「ヴェルサイユ宮殿」へ行くことを二人に告げると、近くで用事があるらしく、宮殿の前まで車で送ってくれた。
ヴェルサイユ宮殿はパリの中心地からは離れたところにある。
パリを嫌ったルイ14世が郊外に建設させたこの宮殿は、フランスの絶対王政の象徴となっていたらしい。
ここで暮らしていたマリーアントワネットとルイ16世の王政によって苦しんだ国民が後にフランス革命を起こすことになった。
ヴェルサイユ宮殿のチケットは青年価格で18€。
券売機で買うことが出来る。
早速宮殿の中へと入っていく。
当時は庶民が入ることは決して許されなかったであろう宮殿には、たったの2000円ちょっとで入ることが出来た。
時代の波は恐ろしい。
宮殿の中は、絵画などが展示された博物館になっている。
肖像画が多いのは、権力者の力の強さを象徴しているということである。
壁一面、そして天井にも絵画がある。
ここが有名な「鏡の間」と呼ばれる、無数のシャンデリアがある回廊だ。
幅10m、奥行75m、高さ13mの大宴会場である。
これは「ナポレオンの戴冠式」の絵画で、本物はルーブル美術館にあるらしい。
ナポレオンから皇后の冠をジョゼフィーヌが受ける様子が描かれている。
しかし、子どもがいないことを理由にナポレオンはジョゼフィーヌと離婚することになる。
ナポレオンの肖像画もある。
これもナポレオン。
こっちはジャンヌダルクだ。
彼女の壮絶な物語は非常に有名である。
16歳の農民の娘であったジャンヌダルクは軍を率いてイギリス軍を破るが、1431年に魔女として火あぶりの刑に処される。
しかし、彼女亡き後の1456年の訴訟によって無罪となり、1920年にローマカトリック教会によって聖女と認定された。
“I am the state.(朕は国家なり)”と言った「ルイ14世」。
1643年に5歳で即位し、その発言からも絶対王政の最盛期であったことがわかる。
派手好きだった彼の時代に貴族の生活様式が確立されたと言われており、コース料理の形式などもこの時代にできたらしい。
こちらは国王の寝室らしく、ベッドがカーテンに覆われている。
宮殿の裏側には庭園があり、その中には1400もの泉がある。
この庭園は、宮殿よりも作るのに手間がかかってそうだと言われるほど緻密に作られている。
敷地内は有料ということもあり、また次の機会に入ることにした。
ヴェルサイユ宮殿を出て昼食探しの旅に出る。
宮殿の近くには美味しい「ガレット」屋が沢山あるようだ。
「La Place」という店で、ベーコンとチェダーチーズのガレット5€を購入した。
フランスでは、惣菜系をガレットと言い、甘い方をクレープというようだ。
ヴェルサイユから電車に乗って、パリ市内へと向かった。
ちょうど夕日が綺麗な時間に到着した。
エッフェル塔は夕焼けの空に良い具合にシルエットを残している。
到着したのは「コンコルド広場」だ。
ここはパリの中心で、シャンゼリゼ通りとも繋がっている。
マリーアントワネットとルイ16世がギロチンによって処刑された場所でもある。
絶対王政の終わりと国民の自由を表している場所だ。
しばらくエッフェル塔の写真を撮った後、シャンゼリゼ通りを歩くことにした。
奥に突出して見えるのが「アンヴァリッド廃兵院」と言う、ナポレオンの墓だ。
シャンゼリゼ通りには、ルイヴィトンの本店もある。
人の多いシャンゼリゼ通りを歩いて、ようやく凱旋門にたどり着いた。
凱旋門は、アウステルリッツの勝利記念にナポレオン1世が建設を命じたと言われており、1836年に完成した。
こういった記念碑は、祖国の過去の栄光を想起させるナショナリズムのシンボルだと考えられている。
本日はここまで。